根津神社
〒113-0031 東京都文京区根津1丁目28−9
根津神社(ねづじんじゃ)は、東京都文京区根津にある神社。旧社格は府社で、元准勅祭社(東京十社)
古くは「根津権現」とも称された
概要
日本武尊が1900年近く前に創祀したと伝える古社で、東京十社の一社に数えられている。境内はツツジの名所として知られ、森鴎外や夏目漱石といった日本を代表する文豪が近辺に住居を構えていたこともあり、これらの文豪に因んだ旧跡も残されている。
現在の社殿は宝永3年(1706年)の創建である。宝永2年(1705年)江戸幕府第5代将軍徳川綱吉の養嗣子に家宣(第6代将軍)が入ったため、元の屋敷地が献納され、「天下普請」と言われる大工事で社殿が造営されたものである[2]。権現造(本殿、幣殿、拝殿を構造的に一体に造る)の傑作とされている[2]。社殿7棟が国の重要文化財に指定されている。
祭神
主祭神須佐之男命(すさのおのみこと)
大山咋命(おおやまくいのみこと)
誉田別命(ほんだわけのみこと)
相殿大国主命 (おおくにぬしのみこと)
菅原道真公 (すがわらのみちざねこう)
歴史
1900年ほど前に日本武尊が千駄木に創祀したとされる。文明年間(1469年-1486年)には太田道灌により社殿が造られた。
万治年間(1658年-1661年)に同所が太田氏の屋敷地となったため東方に移り、のちさらに団子坂上(現文京区立本郷図書館周辺、元根津)に遷座した。
宝永2年(1705年)江戸幕府第5代将軍徳川綱吉が兄綱重の子・綱豊(甲府藩主。のちの第6代将軍・家宣)を養嗣子に定めた。綱豊が江戸城に移ると、当社が家宣の産土神とされていたことから、綱豊の屋敷地(旧甲府藩邸、現在地)を当社に献納して普請を開始した[3]。社殿は宝永3年(1706年)に完成し、同年遷座した。
「根津権現」の称は明治初期の神仏分離の際に「権現」の称が一時期禁止されたために衰退したが、地元では現在も使われる場合がある。単に「権現様」とも称される。文学作品では「根津権現」として出てくることが多い。
東京大学の移転にともない、門前に形成されていた根津遊郭は廃され、江東区の州崎遊郭へと移転した
重要文化財(国指定)
建造物根津神社 7棟 本殿・幣殿・拝殿(1棟)
唐門
西門
透塀(3棟)
楼門
(附として)銅灯籠2基
工芸品太刀 銘長光
太刀 銘備州長船秀光 康暦二年二月 日
文京区指定文化財[編集]
神楽面 16面(彫刻) - 平成6年指定
神輿 3基(附 獅子2頭)(工芸) - 昭和55年指定
徳川氏朱印状 8通(古文書) - 昭和49年指定
徳川家宣胞衣塚(有形民俗) - 昭和49年指定
氏子地域
文京区根津文京区千駄木一~二丁目全域、三丁目37~51文京区本駒込一丁目2~4・9~25、二丁目1~9・13~17(このうち旧駒込曙町の部分)、三丁目1~9(このうち旧駒込浅嘉町の部分)文京区向丘文京区弥生文京区本郷五丁目30~32(このうち旧本郷森川町の部分)、六丁目全域文京区西片二丁目23~25台東区池之端一丁目2~6・二丁目全域