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大塚天祖神社

大塚天祖神社
〒170-0005 東京都豊島区南大塚3−49−1

創建は鎌倉時代末期の元亨年間(1321~1323年)とされる。
当地の領主であり豊島氏中興の祖と呼ばれた豊島景村により伊勢・皇大神宮が勧請されたのが起源といわれる。
以来、旧巣鴨村の総鎮守として崇敬されることとなる。
江戸時代には鬼子母神の信仰が旺んになり一時境内に十羅刹女神堂が併せ祀られたが、明治に入ると分離された。
神明宮または神明社と称されていたが、1873(明治6)年に天祖神社と社号を改称している。
1933(昭和8)年に造営された旧社殿は、1945(昭和20)年4月13日の空襲により一切が烏有に帰した。
戦後の1950(昭和25)年に拝殿が再建されたが、その後の区画整理により社地が三分の一に縮小されている。
1968(昭和43)年9月になり本殿・社務所・参集所の造営と幣拝殿の修復が完了した。

境内社は5社。社殿向かって左手には熊野社(伊佐奈美命)・菅原社(菅原道真公)・厳島社(市杵島姫神)の合祀殿。
反対右側には稲荷社(宇迦御魂神)と、三峯社(日本武尊)・榛名社(埴山姫神)の合祀殿

大塚天祖神社 御朱印。初穂料300円。境内左手の社務所にて受けられる。
駅や商店街のそばでありながら、境内は別空間。
「神は人の敬によりて威を増し」という言葉があるが、近隣の人々からの崇敬が篤かろうことが伺える、そんな神域である。




# by omiyamairilife | 2017-12-14 04:36 | 出張撮影【お宮参り】おすすめ神社

湯島天満宮

湯島天満宮
〒113-0034 東京都文京区湯島3丁目30−1

湯島天満宮(ゆしまてんまんぐう)は、東京都文京区にある神社。旧社格は府社で、現在は神社本庁の別表神社。神紋は「加賀梅鉢紋」。

旧称は湯島神社で、通称は湯島天神。

古来より江戸・東京における代表的な天満宮であり、学問の神様として知られる菅原道真公を祀っているため受験シーズンには多数の受験生が合格祈願に訪れるが、普段からも学問成就や修学旅行の学生らで非常な賑わいを見せている。また境内の梅の花も有名で、この地の梅を歌った「湯島の白梅」(1942年)は戦中時の歌として大ヒットした。

祭神
天之手力雄命 (あめのたぢからをのみこと)
菅原道真公 (すがわらのみちざねこう)

歴史

社伝によれば、雄略天皇2年1月、雄略天皇の勅命により天之手力雄命(あめのたぢからをのみこと)を祀る神社として創建されたと伝えられている。南北朝時代の正平10年(1355年)、住民の請願により菅原道真を勧請して合祀した。この時をもって正式な創建とする説もある。当の湯島天満宮では458年創建(雄略天皇2年を機械的に西暦に換算した年数)としている。

徳川家康が江戸城に入ってから徳川家の崇敬を受けた。江戸時代には多くの学者・文人が訪れ崇敬を集める一方、享保期には富籤の興行が盛ん(江戸の三富の1つ)になり庶民に親しまれた。

明治5年近代社格制度においてに郷社に列し、明治18年に府社に昇格した。

平成13年(2001年)、神社本庁の別表神社に指定された。平成12年(2000年)3月31日、「湯島神社」から「湯島天満宮」に改称




# by omiyamairilife | 2017-12-12 18:34 | 出張撮影【お宮参り】おすすめ神社

根津神社

根津神社
〒113-0031 東京都文京区根津1丁目28−9

根津神社(ねづじんじゃ)は、東京都文京区根津にある神社。旧社格は府社で、元准勅祭社(東京十社)
古くは「根津権現」とも称された

概要

日本武尊が1900年近く前に創祀したと伝える古社で、東京十社の一社に数えられている。境内はツツジの名所として知られ、森鴎外や夏目漱石といった日本を代表する文豪が近辺に住居を構えていたこともあり、これらの文豪に因んだ旧跡も残されている。

現在の社殿は宝永3年(1706年)の創建である。宝永2年(1705年)江戸幕府第5代将軍徳川綱吉の養嗣子に家宣(第6代将軍)が入ったため、元の屋敷地が献納され、「天下普請」と言われる大工事で社殿が造営されたものである[2]。権現造(本殿、幣殿、拝殿を構造的に一体に造る)の傑作とされている[2]。社殿7棟が国の重要文化財に指定されている。

祭神
主祭神須佐之男命(すさのおのみこと)
大山咋命(おおやまくいのみこと)
誉田別命(ほんだわけのみこと)
相殿大国主命 (おおくにぬしのみこと)
菅原道真公 (すがわらのみちざねこう)

歴史

1900年ほど前に日本武尊が千駄木に創祀したとされる。文明年間(1469年-1486年)には太田道灌により社殿が造られた。

万治年間(1658年-1661年)に同所が太田氏の屋敷地となったため東方に移り、のちさらに団子坂上(現文京区立本郷図書館周辺、元根津)に遷座した。

宝永2年(1705年)江戸幕府第5代将軍徳川綱吉が兄綱重の子・綱豊(甲府藩主。のちの第6代将軍・家宣)を養嗣子に定めた。綱豊が江戸城に移ると、当社が家宣の産土神とされていたことから、綱豊の屋敷地(旧甲府藩邸、現在地)を当社に献納して普請を開始した[3]。社殿は宝永3年(1706年)に完成し、同年遷座した。

「根津権現」の称は明治初期の神仏分離の際に「権現」の称が一時期禁止されたために衰退したが、地元では現在も使われる場合がある。単に「権現様」とも称される。文学作品では「根津権現」として出てくることが多い。

東京大学の移転にともない、門前に形成されていた根津遊郭は廃され、江東区の州崎遊郭へと移転した

重要文化財(国指定)
建造物根津神社 7棟 本殿・幣殿・拝殿(1棟)
唐門
西門
透塀(3棟)
楼門
(附として)銅灯籠2基

工芸品太刀 銘長光
太刀 銘備州長船秀光 康暦二年二月 日

文京区指定文化財[編集]
神楽面 16面(彫刻) - 平成6年指定
神輿 3基(附 獅子2頭)(工芸) - 昭和55年指定
徳川氏朱印状 8通(古文書) - 昭和49年指定
徳川家宣胞衣塚(有形民俗) - 昭和49年指定

氏子地域
文京区根津文京区千駄木一~二丁目全域、三丁目37~51文京区本駒込一丁目2~4・9~25、二丁目1~9・13~17(このうち旧駒込曙町の部分)、三丁目1~9(このうち旧駒込浅嘉町の部分)文京区向丘文京区弥生文京区本郷五丁目30~32(このうち旧本郷森川町の部分)、六丁目全域文京区西片二丁目23~25台東区池之端一丁目2~6・二丁目全域





# by omiyamairilife | 2017-12-07 21:09 | 出張撮影【お宮参り】おすすめ神社

素戔雄神社

素戔雄神社
〒116-0003 東京都荒川区南千住6−60−1

素盞雄神社(すさのおじんじゃ)は、東京都荒川区南千住にある神社である。地元では天王様と呼ばれている。

南千住、三ノ輪、三河島、町屋など61町にも及ぶ区域の総鎮守で、旧郷社。例祭「天王祭」は、都内でも珍しい二天棒の神輿で神輿振りをする事で知られている。

祭神
素盞雄大神(すさのおおおかみ) – 元は牛頭天王
飛鳥大神(あすかおおかみ) – 元は飛鳥権現

歴史
延暦14年(795年)役小角の弟子・黒珍が、牛頭天王・飛鳥権現の二柱の神が降臨した奇岩を祀って創建したと伝えられる。
創建以来、二柱を別々の社殿に奉斎していたが、享保3年(1718年)焼失し、同12年に瑞光殿を建築して合祀した。
古くから疫病除けで知られ、安政5年(1858年)江戸にコレラが流行した際は疫除守を求めて参詣者が群れ集まった。
明治初期の廃仏毀釈により祭神名を素盞雄大神・飛鳥大神へ改め、社名も素盞雄神社へ改称した。

社殿・境内
祭神が降臨した瑞光石(ずいこうせき)は、元治元年(1864年)浅間神社を祀り、富士塚とした。
松尾芭蕉の「奥の細道」旅立ちの記念碑がある。

祭事・年中行事
天王祭6月2日に宵宮祭、3日に例大祭が行われる。京都の祇園祭と同様、夏に流行する疫病を祓う都市型の例祭。 本祭:天文10年(1541年)以来三年に一度行われ、例祭の次の土日に本社神輿渡御が行われる。
神輿は重量千貫(3,750kg)、四間半(8.1m)の長柄二本(二天棒)を有する。陰祭:本祭以外の年に行われ、町内神輿やこども神輿が繰り出される。
飛鳥祭9月15日に湯立神事が行われる。

所在地・交通
東京都荒川区南千住6-60-1
南千住駅より徒歩9分




# by omiyamairilife | 2017-12-05 05:43 | 出張撮影【お宮参り】おすすめ神社

王子神社

王子神社
〒114-0022 東京都北区王子本町1丁目1−12

王子神社(おうじじんじゃ)は、東京都北区王子本町にある神社である。旧称王子権現。この一帯の「王子」という地名の由来である

歴史
創建年月日不詳。
康平(1058年 - 1065年)年間に、源義家が奥州征伐のおり、当地で金輪仏頂を修法、凱旋の日に甲冑を奉納した。
文保(1317年 - 1319年)および元弘(1331年 - 1334年)年間に、当地の領主豊島氏が社殿を再興し、熊野新宮の浜王子より「若一王子宮」を改めて勧請・奉斎、王子神社となる。
明治初期 准勅祭社に指定。
昭和20年(1945年) 戦災で社殿を焼失。
昭和39年(1964年)、昭和57年(1982年)の二回の造営を経て社殿を再建。

御神徳
開運厄除・子育大願

田楽舞
八月の例大祭には北区無形民俗文化財に指定されている王子神社の田楽舞が奉納されている。

関神社
主祭神 蝉丸公(神霊) 逆髪姫(神霊) 古屋美女(神霊)
由緒
「蝉丸公」は延喜帝の第四皇子、髪の毛が逆髪である故に嘆き悲しむ姉君「逆髪姫」のために侍女の「古屋美女」に命じて「かもじ・かつら」を考案し髪を整える工夫をしたことから「音曲諸芸道の神」、「髪の祖神」と崇敬を集めていて、「関蝉丸神社」として、滋賀県大津の逢坂山に祀られている、その御神徳を敬仰する人達が「かもじ業者」を中心として江戸時代に奉斎された。1945年4月13日 戦災により社殿焼失
1959年5月24日 全国各地の「かもじ・かつら・床山・舞踊・演劇・芸能・美容師」の浄財により再建。

氏子地域
北区王子一丁目~五丁目
北区王子本町一丁目~三丁目
北区岸町一丁目~二丁目
北区上十条一丁目~五丁目
北区中十条一丁目~三丁目
北区十条仲原一丁目~四丁目
北区東十条一丁目~四丁目
北区十条台一丁目~二丁目




# by omiyamairilife | 2017-12-01 00:12 | 出張撮影【お宮参り】おすすめ神社

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